マクタン島の英雄ラプラプ王!セブの観光スポットは歴史を知ると楽しい!

セブの観光地のラプラプ王の銅像。はじめて見たときは感動しました。ただの銅像です。だけど、フィリピンの歴史を知っていたので思い入れがありました。マクタンにあるラプラプ像について解説したいと思います。

フィリピンの英雄ラプラプ王の銅像

2023年3月にまた行ってきたので記事を更新しました。

マクタン島の「ラプラプ王」の銅像の場所

ラプラプ王の銅像(Lapu-Lapu Monument)はマクタン島のマクタン・シュライン(Mactan Shrine)という場所にあります。2020年にリニューアルして、大きな記念公園になっています。

ラプラプ王の銅像があるマクタンシュラインの見所

マクタンシュラインの地図

小さな土産物売り場があったんですが、なくなっていました。

マクタンシュラインの入口

入口が奥側に変わっていて、いろいろ微妙に変わっています。では、順番に解説していきます。

Double Side Monument and Battle of Mactan Paint

Double Side Monument and Battle of Mactan Paint

まずはここ!

Double Side Monumentという石碑と、Battle of Mactan Paintという絵があります。石碑の表側はラプラプについて。

Double Side Monumentの表はラプラプ

「Spanish Invaderのリーダーであるマゼランを倒したヒーロー!」って書かれています。

LAPULAPU. HERE ON 27 APRIL 1521. LAPULAPU AND HIS MEN REPULSED THE SPANISH INVADERS. KILLING THEIR LEADER, FEROIRAND MAGELLAN. THUS LAPULAPU BECAME THE FIRST FILIPINO TO HAVE REPELLED EUROPEAN AGGRESSION.

ラプラプ。1521年4月27日、ラプラプとその部下はスペインの侵略者を撃退しました。 彼らのリーダー、フェロワランド・マゼランを殺します。したがって、ラプラプは、ヨーロッパの侵略を撃退した最初のフィリピン人になりました。

Double Side Monumentの後ろはマゼラン

石碑の裏側にはマゼランについて。「ここで死んだんだよ」って書いてます。1941年。

FERDINAND MAGELLAN’S DEATH. ON THIS SPOT FERDINAND MAGELLAN DIED ON APRIL 27 1521, WOUNDED IN AN ENCOUNTER WITH THE SOLDIERS OF LAPU LAPU CHIEF OF MACTAN ISLAND. ONE OF MAGELLAN’S SHIPS, THE VICTORIA UNDER THE COMMAND OF JUAN SEBASTIAN ELCANO SAILED FROM CEBU ON MAY 1. 1521 AND ANCHORED AT SAN LUCAR DE BARRAMEDA ON SEPTEMBER 6. 1522. THUS COMPLETING THE FIRST CIRCUMNAVIGATION OF THE EARTH.

フェルディナンド・マゼランの死。この場所で、フェルディナンド・マゼランは1521年4月27日に死亡しました。マクタン島のラプラプ首長の兵士との遭遇で負傷しました。マゼランの船の1つであるビクトリア号は、フアン セバスチャン エルカーノの指揮の下、1521年5月1日にセブ島を出港し、1522年9月6日にサン ルーカル デ バラメダに停泊しました。

マクタンの戦いの絵

絵はマクタンの戦いです。この絵が好きです。

ラプラプ王の銅像

そのまままっすぐ進むとラプラプの銅像があります。

Lapu-Lapu Monument フィリピンの英雄ラプラプ王の銅像

Lapu-Lapu Monument。フィリピンの英雄ラプラプ王の銅像です。新しい銅像の足元には、LAPULAPUの文字がキラキラと光っています。

ふんどし姿のラプラプは毒槍でマゼランを討ち取ったと言われています(諸説あります)。このラプラプ王の銅像は大人気。写真撮影の順番待ちがすごいです。

マゼラン記念碑

ラプラプ像の後ろには、マゼランを称えるマゼラン記念碑があります。

マゼランマーカー(Magellan Marker)と呼ばれるマゼラン記念碑

マゼランマーカー(Magellan Marker)と呼ばれているマゼラン記念碑は1866年にサンゴ石で建てられました。高さ30メートルだったと思うのですが、先端が折れてました。

ちなみに、昔の写真はこちらです。

マクタン島の英雄「ラプラプ王」銅像
2020年2月22日撮影

マクタンシュラインの一番奥までいって、振り返るとこんな感じです。

マクタンシュラインの記念公園広場

奥に見えるのがマクタンニュータウンです。Google MapsやGoogle Earthの画像とはレイアウトが違うので、最近、配置が変わったのかもしれません。

マクタン・シュラインの行き方

マクタン・シュラインはマクタンのシャングリラホテルの近くにあります。高級リゾートホテルのエリアです。

ちょっと不便な場所なのでタクシーで行くのがオススメです。だけど、セブシティからは遠いので、タクシードライバーに拒否されることも多いです。僕はタクシーに拒否された時は、マクタンマリーナモールまでタクシーで行って、そこからはジプニーでマクタンニュータウンまで行って歩いてます。マクタンニュータウンは新しく開発されたエリアです。

最近はセブシティのITパークからマクタンニュータウンまでバスが出ています。ITパーク付近にいるならバスが安くて便利です。

マクタン・シュラインの周辺は、日本語で声をかけてくるフィリピン人が多いです。コロナ後にちょっと治安が悪くなっている気がするので、日本語で話しかけてくるヤツは無視してください。

フィリピンがスペインの植民地になった歴史

ラプラプ像を見るときは、フィリピンの歴史を知っていたほうが絶対面白いです。

1519年、日本が戦国時代の時、世界は大航海時代でした。ヨーロッパの国は新大陸を開拓して領土拡大、植民地化していってました。その時のスペインは世界各地に領土を持っていて、「どこかが常に太陽に照らされている」という意味で、「日の沈まない帝国」と呼ばれていました。スペイン最強でした。

そんな時代に、はじめて世界一周をしたマゼランという人物がいます。冒険家と呼ぶか、侵略者と呼ぶかは、立場によりますね。実際は、マゼランは世界一周してなくて、世界一周してる最中にセブで殺されました。でも、残りメンバーがスペインに戻って世界一周しました。マゼランはポルトガル人ですが、スポンサーがスペインでした。

スペインはカトリックなので、領地を広げながらキリスト教を普及していきます。セブ島に到着したマゼランは、首長フマボンにキリスト教改宗を要求します。首長フマボンは受け入れて、キリスト教になります。それがフィリピンにとってのキリスト教のはじまりです。その記念碑がセブ島にあるマゼランクロスです。

マゼランは、セブ島の対岸にある小さいマクタン島を目指します。しかし、マクタン島の首長ラプラプはマゼランの要求を断ります。ラプラプはイスラム教徒です。そして、戦いになって、ラプラプがマゼランを殺します。フィリピンが勝ったんです。すごいです!

すごい武器を持った西洋人が海からやってきたとき、それに立ち向かって勝ったんです。ラプラプすごい!詳しく知りたい人はWikipediaを参照してください。

マクタン島の戦い(マクタンとうのたたかい)は、1521年4月27日、フィリピンのマクタン島で発生した戦闘。地元の領主ラプ=ラプが、世界一周航海中のスペイン艦隊と戦い、その司令官のフェルディナンド・マゼランを討ち取った。

マクタン島の戦い
https://ja.wikipedia.org/wiki/マクタン島の戦い

しかし、残念ながら、援軍が来て、最終的にフィリピンはスペインの植民地になりました。だから、東南アジアで唯一のカトリック国です。ちなみに、スペイン最盛期の王様がフェリピ2世と言います。彼の名前からフィリピンという国名になっています。

マクタン島の英雄「ラプラプ王」はマゼランを撃退した

国によって歴史観は変わります。フィリピンにとっては、マゼランは侵略者なので、倒したラプラプは英雄です。だから、銅像になってます。

マクタン島ではLAPU-LAPU(ラプラプ)という文字をよく見かけます。ラプラプという名前の魚もいます。(ルソン島では聞いたことないです。)

そのラプラプの銅像があるのがセブのマクタン島です。こういう歴史的背景を知っていたので、ラプラプの銅像を見たときは興奮しました。もう1回言います。ラプラプはヨーロッパから侵略者が来た時に、迎え撃って倒した勇敢な男なんです。

ラプ=ラプは、16世紀、フィリピンのマクタン島の領主であり、イスラム教徒の部族長。世界一周航海の途上でフィリピンへ来航し、キリスト教への改宗と服従を要求するフェルディナンド・マゼランらをマクタン島の戦いで破り、マゼランを討ち取った。フィリピンでは民族の誇りを守った国民的英雄とみなされている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ラプ=ラプ

むかしは、セブ島とマクタン島は仲が悪かったんです。

ラプラプはイスラム教だったと言われています。もしラプラプが援軍に負けてなかったら、フィリピンはイスラム教の国だったのかもしれないです。いまはミンダナオにはイスラム教が多いですが、それ以外のエリアはカトリックが多いです。それはマゼランがキリスト教を持ち込んでからの変化なのです。500年前です。

フィリピンが格差社会なのはスペインの植民地政策

フィリピンは格差社会です。それはスペインの植民地政策の影響も大きいです。スペインの植民地政策は搾取する政策です。だから、スペイン人についた人は恩恵があって、つけなかった人は搾取されました。スペインの植民地だった地域はどこも格差社会です。中南米もそうです。グアテマラに行ったときも同じ印象でした。

フィリピンの人は貧しいです。でも、みんなが貧乏ではなくて、スペインと仲良かった人たちは金持ちです。フィリピンの国土の半分を持ってる人は100人いないです。一部の金持ちがほとんどの土地を持っています。格差社会のベースです。ちなみに、日本は、戦争が終わって農地改革で地主は取り上げられたので大地主がいません。

フィリピンはいろんな国の植民地になった歴史があります。スペイン、アメリカ、そして、日本です。フィリピンの歴史や文化には、植民地になった経験が大きく影響していると感じます。そして、カトリックも人々の生き方に大きな影響を与えています。そういった背景を知って、フィリピンに行くと面白いです。

最後に昔に作ったアニメーションの紹介です。2012年に作りました。懐かしいです。僕はフィリピンのことは何も知らなかったです。いろいろ学んだので、みなさんもいろいろ感じてきてください。

ドン山本さん(俺セブのライター)の記事もめっちゃ勉強になりますよ。

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フィリピンの旅行に役立つ情報

トラブル体験談

中谷 よしふみ

中谷 よしふみ

エンジニアベースの元コンサルタント。2012年にフィリピン留学を体験。自身の体験をシェアするため、このサイトを作ると、サイトが有名になる。圧倒的に詳しくなったので書籍を出す。そして、留学エージェントになる。体験した学校は105校。TOEIC845(リスニング450、リーディング395)。年間半分以上は海外で生活しているノマドクリエイター

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