マバラカットの神風東飛行場平和記念碑を訪問!カミカゼ特攻隊が飛び立った歴史的な場所

マバラカットにある歴史的観光地の1つ、カミカゼ Kamikaze EAST AIRFIELD PEACE MEMORIAL(神風東飛行場平和記念碑)に行ってきた。第二次世界大戦(大東亜戦争)の時、国を護るために、爆弾を搭載した戦闘機で敵艦に体当たりした。それが、神風特別攻撃隊です。

神風東飛行場平和記念碑

人間爆弾のカミカゼ特攻隊

神風東飛行場平和記念碑はフィリピンのパンパンガ州のマバラカットにあります。マバラカットというエリアは、第二次世界大戦中にアメリカと日本の戦争に巻き込まれた悲しい場所です。ここで多くの人命が失われました。カミカゼ記念碑と呼ぶ方もいます。

このマバラカットという土地で、人間爆弾のカミカゼ特攻隊は結成されました。志願者が集められて、グループに分けられて、ここから突撃していきました。突撃することは死ぬことです。世界最初の人間爆弾は関行男大尉と言われています。

1944年10月25日 7時25分、関行男大尉は敷島隊を率いてマバラカット飛行場から飛び立ちました。10時45分、レイテ島沖の米機動部隊に攻撃を開始。関行男の飛行機が米空母セント・ローに体当たりした。同艦は炎上、20分後に沈没。

マバラカットの神風東飛行場平和記念碑の行き方

行き方ですが、ジプニーかタクシーで行きます。SMクラークから北へ15分ぐらいです。ダウステーションの前の通りをずっと北に向かいます。ジプニードライバーに「カミカゼ!」と言っても伝わらなかったので、マバラカットのシティホールと言って、前進してもらいました。

昔に来たことあるので、2回目です。高速道路インターチェンジの手前に「神風」と書かれた緑の看板があります。見逃さないようにしましょう。

15ペソでした。

神風東飛行場平和記念碑の看板

知らないと通り過ぎてしまう。

神風東飛行場平和記念碑

ひっそりと鳥居があります。誰もいなくて、自由に見学できます。アメリカ軍の墓地と比べるとものすごく小さいです。

神風東飛行場平和記念碑の鳥居

石の鳥居を潜ると、銅像があります。名前は書かれていません。銅像の後ろの壁には、日本の国旗とフィリピンの国旗が描かれています。

世界初の公式人間爆弾の関行雄中尉の銅像

関行男大尉の銅像かなと思ったら、この記念像のモチーフになったのは俳優の今井雅之さんでした。彼は神風特別攻撃隊をテーマとした「THE WINDS OF GOD」(ザ・ウインズ・オブ・ゴッド)という映画を作ったのです。

『THE WINDS OF GOD』(ザ・ウインズ・オブ・ゴッド)は、神風特別攻撃隊をテーマとした今井雅之作の戯曲。1988年より国内外で上演され、1995年に小説化ならびに最初の映画化が行われた。2005年にはテレビドラマ化、2006年には全編英語で再び映画化されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_WINDS_OF_GOD

銅像には花が添えられていました。駐フィリピン特命全権大使の越川和彦さんの名前がありました。

駐フィリピン特命全権大使の越川和彦

戦争中、国を護るため、突撃して命を落とした方がいます。マバラカット観光局は、神風特攻隊を賛美するためではなく、国家間の親善、平和、友好を促進するため、神風平和記念館の設立を支援していると書かれています。

神風東飛行場平和記念碑の碑文

This spot is the central frontage of the very first Japanese Kamikaze Airfield during World War II, the Mabalacat East Airfield. On 20 October 1944, Vice Admiral Takiiro Onishi founded the Kamikaze at Mabalacat, Pampanga, Luzon Island. The first to volunteer were the 23 fliers of the 201st Air Fleet, Imperial Nippon Naval Air Force under Capt. Sake Yamamoto then stationed at Mabalacat. The first Kamikaze group was called the Shinpu Special Attack Corps under It. Yukio Seki The corps was divided into four units: the Shikishima Unit; the Yamato Unit; the Asahi Un t: and the Yamazakura Unit. At 0725 hrs. on 25 October 1944, the Shikishima Unit took-off from Mabalacat airfield led by Lt. Yukio Seki. His men were Sgt. Iwao Nakano, Sgt. Noboutani, Em 1/C Hajime Nagamine and Em 2/C Shigeo Oguro. At 1045 hrs., on the said date, the unit hit enemy targets near the Gulf of Leyte. Li. Seki’s plane hit first, blowing up the U.S. Carrier St. Lo which sank 20 minutes later. Lt. Seki’s men also hit and heavily damaged the U.S. Carriers: Kalinin Bay, Kitkun Bay, Sangamon, Santee, Suwannee and White Plains. This first successful Kamikaze Mission was witnessed, then reported by C/WO Hiroyoshi Nishizawa, Japan’s greatest pilot, to Lt. Cmdr. Tadashi Nakajima in Cebu Air Base of the 201st Airgroup. War historians considered Lt. Yukio Seki as “The World’s First Official Human Bomb!”

マバラカットの神風東飛行場平和記念碑

1944年10月25日朝7時25分、関行男大尉は中野盤雄、谷暢夫、永峰肇、大黒繁男の敷島隊を率いてこの東飛行場から飛び立った。

小学館発刊のSapio 2000年12月20日号に『神風特攻隊はフィリピンで英雄だった ・現地の「神風特別攻撃隊慰霊祭」で目撃した「日本軍-もうひとつの真実」 ジャーナリスト 井上和彦著』で詳しくリポートされている。正しい歴史認識を持つことはとても重要だ。

大東亜戦争写真紀行 ありがとう日本軍 アジアのために勇敢に戦ったサムライたち
フィリピン】特攻隊・神風東飛行場平和記念碑の碑文ー正しい歴史認識を持つことは重要

戦争を美化する気持ちは全くないけど、海外に行くと、日本人というだけで恩恵を受けていると感じます。それは、昔の日本人の頑張りの上に成り立っている。だから、海外に行くときは、日本人として恥ずかしくない言動を心がけています。

全然関係ないけど、この神風東飛行場平和記念碑の右横に変なオブジェがある。ツボを持ったオッサンの銅像があるのです。

壺を持った男の銅像 神風東飛行場の横

立ち入り禁止になっています。地元の信仰に基づいた守護神の像かもしれません。

神風東飛行場の横の建物が気になる

説明文が剥がされているのが、ものすごく気になります。

調べてみると、記念碑ができたときの写真を見つけました。どうやら壺を持った銅像と関係なく、カミカゼについて日本語の文字が書かれていたようです。日本語の翻訳が賛否を生んで剥がされたのか?

神風特別攻撃隊隊員像序幕式 2004.10.25
神風特別攻撃隊隊員像序幕式 2004.10.25

神風飛行場平和記念碑は、マバラカットの西と東に1つずつあります。神風特攻隊と共に飛び立った戦闘機が、攻撃を見届けた後に、報告のために降り立った飛行場の跡地が、この神風東飛行場だそうです。(どこで見たのか忘れたので間違っていたらすいません…。)

神風西飛行場平和記念碑

西側のKAMIKAZE WEST AIRFIELD(神風西飛行場平和記念碑)は、神風東飛行場から南西に3kmぐらいです。ただし、いまは許可がないと入れないです。

10年ぐらい前、クラークの小さい宿に泊まっていたときに、フロントにカミカゼ記念碑についての張り紙がありました。特攻隊の本もあった。フロントの方が特攻隊の話をしてくれて、ジプニーに乗って訪問しました。あの時に比べると、フィリピンや戦争のことも少し詳しくなっているので、記念碑の見え方は変わりました。

カミカゼ記念碑はフィリピン人のダニエル・ディソンが設立

このカミカゼ記念碑ができたのは2004年10月25日。フィリピン人のダニエル・ディソンが奔走して、フィリピン政府が作りました。神風特別攻撃隊隊員像序幕式が行われて、 今井雅之さんも参加していました。ディゾンは幼いころ神風特攻隊員と会っていて、「フィリピン少年から見たカミカゼ」を出版しています。

フィリピン少年が見たカミカゼ

日本軍がフィリピンを占領していたときに、アンヘレスに住んでいたフィリピン人、ダニエル・H・ ディソン。彼の父はアメリカに留学していて、アメリカよりの考え。そんな家庭で育った彼だけど、アンヘレスで日本軍と触れ合った。彼の幼少期の思い出が書かれている。フィリピン人から見た、アメリカ人と日本人、そして戦争。コラムでフィリピンの歴史も書かれています。

神風特攻隊を知る彼が、マバラカットの神風東飛行場平和記念碑の設立に動いたんです。2016年に彼は亡くなっているけど、彼の子供がその意思をついて、日本政府から表彰されている。

私は、少年の頃にフィリピンのアンヘレスという小さな町を占領した日本軍将兵達と親しく接する機会がありました。彼らの雄々しさや荒々しさを肌で感じ、私は彼らに対し畏敬の念を持っていました。戦後になって、『ディバイン・ウィンド』(神風特別攻撃隊』猪口力平・中島正著、日本出版共同の英語版)という本を偶然入手し、私がかつて接していた日本軍将兵の中に「カミカゼ」の飛行士達がいたことを知りました。その本に書かれていたことは、戦争当時に私が体験したことでした。私はカミカゼの精神を知り、その崇高さに打たれ、彼らのために何かしなくてはいけないという衝動に突き動かされました

https://map2-mabalacat.jimdofree.com/

「鉢巻きをした二十歳前後のパイロットとすれ違うと、どんなに偉そうな年上の兵士も立ち止まり一礼するんです」ルソン島中部アンヘレスで暮らすダニエル・ディソンさん(78)がたどる特攻兵の記憶だ。当時、特攻作戦のことは知らされていなかったが、「神風」などと書かれた鉢巻きを締めた若者たちが軍の中で特別な存在であることは理解できた。

https://mabaracat-w-e-field.jimdofree.com/マバラカット東飛行場/

歴史は詳しくないですが、戦争があったことを示す記念碑には機会があれば訪れるようにしています。フィリピンには、戦没者の慰霊碑が至るところにあるので、近くに行った時は行くようにしています。

フィリピンの旅行に役立つ情報

トラブル体験談

中谷 よしふみ

中谷 よしふみ

エンジニアベースの元コンサルタント。2012年にフィリピン留学を体験。自身の体験をシェアするため、このサイトを作ると、サイトが有名になる。圧倒的に詳しくなったので書籍を出す。そして、留学エージェントになる。体験した学校は105校。TOEIC845(リスニング450、リーディング395)。年間半分以上は海外で生活しているノマドクリエイター

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