失恋がキッカケで作ったルール!最初はマレーシア留学!中学生にバカにされて悔しくて本気で勉強しました。

フィリピン留学とマレーシア留学を経験された方に話を聞きました。話が面白くて食いついてしまいました。失恋がキッカケ!中学生にバカされたことがモチベーション!

失恋がキッカケでマレーシア留学
40代男性、期間6ヶ月

失恋がキッカケでマレーシアに飛び出した

若いとき、ネガティブな人間で…。はやく死にたいと思ってました。でも、あることがキッカケで人生を変えたいと思って。マレーシアに留学しました。25年前です。社会人2年目、23歳ぐらいだったと思います。

中学、高校は行ってましたけど、あんまり勉強してなかったです。バカだったので大学受験は失敗しました。英語は好きな教科でもなく。嫌いでもなく。ただ、やる気がなかったです。

引きこもりという言葉がないときに、ひきこもってました。ニートという言葉がないときに、ニートでした。20歳ぐらいのときに、なんとなくバイトして。ようやく人間らしい生活になったんです。

病院の事務で働いていたんですが、浮浪者や生活保護の人が多かったんです。話を聞くと、元社長が多くて、成功と失敗って紙一重だと感じました。

人生ってちょっとの差だと思っています。能力の差ではなくて。考え方がすべて。誰にでも可能性がある。0.1mmぐらいの考え方の差。その積み重ねが大きな差をうむと思いました。

当時、たまたま付き合った子がいたんです。かわいくて、頭もよくて、学歴もあって、商社で働いてました。なんで僕と付き合ってくれたのかわからないけど、たぶん、珍しかったんでしょうね(笑)。こんな子とは二度と付き合えないと思っていました。

でも、その子はお金を貯めてアメリカに行ったんです。「いつ帰ってくるかわからないけど待っていて。」って言われて、空港まで見送りに行きました。だけど、飛行機で隣に座った男と付き合ったみたいで(笑)。数ヶ月後に、「二度と連絡してこないで」って言われました(笑)。

ショックで、結構ひきずっていたんです。やりたいことやっていて、わがままな子でした。たぶん、隣に座った男性もそういうタイプだと思うんです。冷静に考えたら、引きこもりの僕よりもその男性と付き合いますよね(笑)。

それで、「やりたいことをやっている人は魅力的だ」って認められるようになったんです。だから、ちょっとでも興味あることは全部やってみる!って決めたんです。全部イエスっていうルールを作ったんです。

僕は海外に行きたかったんです。でも、お金がない。英語ができない。言い訳ばかりしてました。だから、マレーシアに留学したんです。それが1歩目だったんです。

親父がマレーシアにいたから、マレーシアで中国語を勉強しようと思いました。中国語は英語で学ぶので、まず英語を勉強することにしました。でも、結局中国語は学ばなかったです(笑)。

マレーシアで出会った落ちこぼれた仲間

妹がいるんですけど、妹は頭がいいんです。薬剤師で。大学にも行っていて。成績も良くて。英語も好きだったんです。僕と雲泥の差なんです。

当時、僕が留学するのを決めたら、妹が「私も留学する!」って言いだして。僕より先に留学したんです。妹が行ったのがKLにあるブリティッシュ・カウンシルです。2、3ヶ月遅れて僕も行きました。

僕が留学したら、妹はもう友達がたくさんいて、ペラペラ喋ってるんです。同じ学校にいるのが嫌でした(笑)。

僕の英語力はほぼゼロ。ハウマッチぐらい。当然授業にもついていけなくて、落ちこぼれでした。もう1人落ちこぼれがいて。タイ人なんですけど、そのタイ人と一緒に勉強してました。

お互いレベルの低い英語でなんとか話して、一緒に頑張ってました。彼は3ヶ月ぐらいでタイに帰ったけど、いまでも仲が良いです。落ちこぼれ仲間です。

その時は、親父の家で、親父と妹と3人暮らしでした。親父が「家でも英語で喋ろう!」と言い出して。最初は家でも英語で話してました。でも、親父が最初に諦めました(笑)。すぐ妹はペラペラになったから、僕らが話してることがわからなくなったんでしょうね。でも、僕と妹はずっと英語でしゃべってました。

結局、妹と同じ学校にいると悔しいから、1ヶ月でやめました。違う学校に行って、追い抜こうと思ったけど、まあ無理ですね。僕が成長したら妹も成長するんです(笑)。

現地で学校を探して、ELSという学校に行きました。ブキビンタンとKLセントラルの間。スイスホテルの近くでした。場所は変わってるかもしれないですけど、まだあるみたいです。25年前なので、いくらだったか覚えてないけど、めっちゃ安かったと思います。月2、3万だった気がします。

中学生にバカにされて悔しくて寝ずに勉強

マレーシアの授業はグループレッスンです。生徒層は幅広かったです。中学生から40歳ぐらいまでいました。1クラスは20人ぐらいだったと思います。グループになって他の生徒と意見交換するんです。

みんなしゃべれるんです。だから、最初は、「喋れるのになにを学ぶんだろう?」って思いました。当時の僕は全然しゃべれなくて、中学生にバカにされました。いま思い出しても腹がたつ。すごく悔しかったです。

いま思えば、意見を言わない自分がダメですね。イヤな思い出だけど、あれで本気で勉強しようと思えました。いいキッカケでした。それで、心を入れ替えて。寝ずに勉強するぐらい頑張りました。

他の国の人って、英語を使う環境があるから、なんとなく喋れる。間違ってるけど堂々としてる。でも、読み書きは苦手。だから、彼らは文法を学ぶんです。でも、日本人は文法を知ってる。4技能の弱い部分が違うんです。レベルわけすると、日本人は上のクラスに入りがち。そしたら、まわりはもっと喋る。

僕は4技能が全部ダメだったから、上のクラスにいかなかった(笑)。

中東の人は主張してくるでしょ。渡り合えるようになりましたか?

主張してきますよねぇ。でも、途中からはバカにしてましたね。内容がないでしょ。わかってくると大したこと言ってないんです(笑)。アホやなと思ってました。でも、とりあえず発言することは大事ですよね。彼らから学びました。自分がなにか言えるようになるには、3ヶ月ぐらいはかかったと思います。

意見のない日本人が多いけど、もともと意見はあるタイプだったんですね。意見がないと迷走することがあるんです。

だいたい人をバカにしてました。厨二病です。根拠のない自信があった。若気の至りですね。日本で仕事していたときも普通よりこなすほうでした。バカにされたことはなかったんです。だから、中学生にバカにされてめちゃ悔しかったんです。

正直、マレーシアの授業の精度は低かったです。授業の記憶はないです。授業がダメだったから自分で勉強しました。自分で勉強したことだけが残っています。勉強したい仲間が集まる場所を提供してくれた。それがすごくよかった。

ケンブリッジのBasic Grammar in Useで自習

ケンブリッジのBasic Grammar in Useの教科書で勉強していました。妹に教えてもらったんです。妹はさすがです。あの教科書ばかりやってました。翌日使うフレーズがでてくるんです。実用性がめちゃくちゃ高かった。

あのときは、英語の勉強がめちゃくちゃ楽しかったんです。夢中になってました。毎日決めたノルマ以上に勉強してました。それで、ようやく文法の基本がわかったんです。もう忘れてしまいましたけどね。

授業は15時には終わるので、授業後は友達としゃべってました。タイ人とマレーシア人、中国人もいました。中東の人は30代が多くて。おっさんでしょ。舌をまくから英語も聞き取りにくいし、宗教も違うし。友達になれなかったですね。

英語を喋る人しかいないので、ずっとしゃべってました。日本語を使う環境がなかったのはよかった。日本人生徒は2、3人いましたけど、しゃべってないです。日本人とは関わらないようにしていました。当時はそういう生徒が多かった。マレーシアに来てる人は変わってました。最後に1、2人とちょっと話したぐらいです。

最初の数ヶ月は伸びる兆しはなかったです。だけど、3ヶ月後ぐらいしたときに、生徒や先生に「上達している」と言われました。みんな長期留学だったので、一緒にじわじわ上達していった感じです。

ELSには5ヶ月いました。英語レベルも徐々にあがっていって、その頃には英語で意思疎通ができるようになっていました。

その後は、友達とタイに行ったり、インドネシアに行ったりして。ダラダラしてました。旅では問題なく喋れていて、人生が変わったと感じていました。

半年ぐらい遊んでいたらお金がなくなりました。ロンドンに行きたかったんですが、借金して行くべきか、働いてお金を貯めてから行くか悩んでいました。でも、結局日本に戻りました。だから、マレーシアにいたのは1年ぐらいです。

海外リモートワークを試していたらフィリピン留学に辿り着いた!英語を勉強しながら仕事してます。

(2022年9月18日 マニラ)

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中谷 よしふみ

中谷 よしふみ

クリエイター(ノマド)。2012年にフィリピン留学を体験。その後、サイトを作ると学校から呼ばれるようになる。体験した学校は103校。年間半分以上は海外で、イギリス、カナダ、マレーシアでは英語授業も体験。元コンサルタント。著書:英語は「フィリピン」で学べ!

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