アンヘレス博物館で驚いた!植民地化されると歴史が消される

アンヘレスのネポモールのすぐ近くにアンヘレス博物館(Museo ning Angeles)があります。聖ロザリオ教区教会の前にある2階建ての小さな建物。入ったことなかったので、フラッと入ってみた。無料の博物館です。

アンヘレス博物館前のホセ・アバド・サントス
ホセ・アバド・サントス

小さな博物館ですが、いろいろ驚きました。

植民地化されると歴史が消される

サラッとまわると20分ぐらいで見終わるような小さな博物館です。

アンヘレス博物館の展示

アンヘレス博物館のWikipediaには以下のように書かれています。

History The site of the current Museo ning Angeles in Barangay Santo Rosario was formerly occupied by Angeles’ casa tribunal or court house during the Spanish colonial era which was burned down in 1860. The present building was constructed in 1922 and served as Angeles’ town hall until 1998. The building was then repurposed as a museum in 1999 with the city jail and a police station converted to a museum office and souvenir shop respectively.

https://en.wikipedia.org/wiki/Museo_ning_Angeles

もともとあった美術館はスペイン植民地時代の1860年に燃やされていました。今の建物は1922年にできたものなんですね。昔の植民化政策では、過去の歴史は燃やされています。わかってはいるけど、こうやってはっきり書かれてると考えさせられます。

アンヘレスの歴史の始まりは1795年

アンヘレスの歴史は1795年から始まっていました。裸の民族が槍を持ってます。1795年は日本の江戸時代です。

セブの博物館では、マゼランが来た1521年から歴史が始まります。でも、アンヘレス博物館には、スペインやマゼランに関する記述がありません。アメリカの植民地政策や、アメリカとの戦争、そして、日本との戦争について展示されています。1795年はまだスペインの植民地ですが、アメリカの植民地になったときに、スペイン時代の歴史を燃やしたのかな。

もし日本が植民地化されていたとしたら、と考えるとゾッとします。大河ドラマなんか作れなかったですね。植民地化されなかったタイや日本は歴史的建造物が多いのも納得です。

ピナツボ火山の大噴火で失ったものと得たもの

1991年のピナツボ噴火に関する展示がありました。アンヘレスにとっては大きな出来事です。映像が流れていて、ずっとオジサンが見てました。

ピナツボ火山の噴火の映像

ピナトゥボ山(ピナトゥボさん、ピナツボ山、Mt. Pinatubo)は、フィリピンのルソン島西側にある火山である。1991年に20世紀に陸上で発生した噴火として最大規模の大噴火を引き起こした。噴火前に1745mあった標高は、噴火後に1486mまで低くなっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ピナトゥボ山

ピナトゥボ (Pinatubo)は、タガログ語とサンバル語で「生育させた」という意味だそうです。カトリック前は、自然を崇拝していたような気がします。

ピナツボ火山の噴火

火山灰がすごくて、噴火の被害はすさまじかったようです。5つの町が深刻な影響を受けて、14000以上の家族が移動したようです。Wikipediaでは、死者847名、行方不明者23名、被害者総数120万人と書かれています。調べれば調べるほど、悲しい気持ちになります。

悲惨な大災害が起きたこのピナツボ山は、いまは人気の観光地になっています。大噴火して山頂が陥没して、そこに雨が溜まってカルデラ湖ができたんです。大自然の中をジープで走り、トレッキングする人気の観光地です。

また、この噴火がアメリカ軍が撤退するキッカケにもなったと言われています。何かを失うと、何かを得る。そんな風にも感じました。

その場所の歴史や背景を知ると、いろいろなモノが繋がっていきます。それは僕にとって海外に行く醍醐味です。実は、ピナツボ火山には行ったことないので、いつか行ってみたいです。

神風特攻隊の最初の人間爆弾は永峯肇?

第二次世界大戦の日本の神風特攻隊の展示もありました。クラークは戦場だったので、戦争に関する展示を見ることが多い。神風特攻隊(カミカゼ)は、爆弾を積んで敵地に突っ込んだ人間爆弾です。

神風特攻隊は敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊の4隊。敷島隊が特攻第一号でした。1944年10月25日朝7時25分、関行男大尉は中野盤雄、谷暢夫、永峰肇、大黒繁男の敷島隊を率いてマバラカット東飛行場から飛び立った。(マバラカットの神風東飛行場平和記念碑より)

神風特攻隊 永峯肇の展示

この博物館では、「最初の公式人間爆弾は、敷島隊の四番機 永峰肇」と書かれていました。

神風特攻隊 永峯肇の辞世の句

南海に たとえこの身は 果つるとも いくとせ後の 春を想えば

一九四四年十月二五日 世界最初の公式人間爆弾として祖国に殉じた神風特別攻撃隊敷島隊の四番機 永峯 肇 一九才の辞世

神風特別攻撃隊 敷島隊の壮挙に感激したダニエルHディソン氏等フイリッピン歴史会のメンバーが怨讐と国境を越えて 一九七四年五月七日マバラカット下に敷島隊五勇士の慰霊碑を建立した

一九九七年二月七日 永峯軍神奉贅会

でも、マバラカットの神風東飛行場平和記念碑には、関行男大尉が最初の公式人間爆弾と書かれていました。どっちでもいいんですが、アンヘレスの中で、場所によって記述が違うのは不思議ですね。

War historians considered Lt. Yukio Seki as “The World’s First Official Human Bomb!”

マバラカットの神風東飛行場平和記念碑

永峰肇は19才。「1974年5月7日にマバラカット下に敷島隊五勇士の慰霊碑を建立した。」とある。マバラカットのどこにあるんだろう?永峰肇さんについてググってみると、Wikipediaが出てきた。

戦局の悪化によって神風特別攻撃隊の編成が発令されると、永峰は関行男大尉率いる「敷島隊」(全5機)に所属する。敷島隊は指揮官である関が23歳、残る四人のうち二人が20歳、永峰ともう一人が19歳、さらに関以外の全員が予科練出身で、予科練を卒業した者は神風特別攻撃隊に志願参加したとされているが、実際は志願では無く、永峰自身もフィリピンに送り込まれた大勢の予科練出身者の中からなぜ自身が選ばれたのか、最期まで判らずにいた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/永峰肇

指揮官が23歳ですよ。複雑な気持ちになります…。沖縄に永峰肇さんの慰霊碑があるのはわかったけど、マバラカットのどこにあるのかわからなかった。

それにしても、クラークで戦争時の日本軍の情報を探していると、絶対ダニエルHディソンさんがでてくる。会いたくなりますね。

バターン死の行進

バターン死の行進についての展示もありました。第二次大戦中の日本軍が、投降したアメリカ軍やフィリピン軍の捕虜をひたすら歩かせて死亡させたそうです。この行進については諸説あるけど、詳しくは知らないです。

アンヘレス名物のシシグフェス

シシグフェス!

看板を見たときはビックリしました。シシグはアンヘレスの名物料理です。アンヘレスでシシグフェスが毎年開催されているようです。そんなイベントがあるんですね。

アンヘレスのシシグフェス

The annual “Sisig Festival” (Sadsaran Qng Angeles) is held every year during December in Angeles, Pampanga, celebrating the Kapampangan dish. It started in 2003 and was made an annual festival by Mayor Carmelo Lazatin in December 2004 to promote the city’s culinary prowess.

https://en.wikipedia.org/wiki/Sisig

2003年から始まって、ずっと毎年12月に開催されているようですが、最後は2019年4月だったようです。今年は開催されるのかもしれませんね。イベントのときにアンヘレスにいたら行きたい。

場所は、”Crossing, Valdes Street, Angeles City。どこなんですかね?あまり情報がなかったんですが、アンヘレスのFacebookページでsisigで検索すると、でてきました。

アンヘレス博物館の場所

アンヘレス博物館は小さい博物館です。2012年にフィリピン留学した学校のすぐ近く。徒歩圏内にこんな博物館があったのに存在も知らなかった。訪問できてよかったです。

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トラブル体験談

中谷 よしふみ

エンジニアベースの元コンサルタント。2012年にフィリピン留学を体験。自身の体験をシェアするため、このサイトを作ると、サイトが有名になり、学校に呼ばれるようになる。体験した学校は100校以上。いろんな学校を体験すると、ほとんど同じだけど、一部の学校は全然違うことを知る。業界で一番詳しい自信を持った、2016年に「英語はフィリピンで学べ」という書籍を出す。TOEIC845(リスニング450、リーディング395)。年間半分以上は海外で生活しているノマドクリエイター。英語を身につけて日本から出て視野を広げてほしい。そんな思いでエージェントをやっています。

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