海外インターンの目的は自然デザインを学ぶ
マレーシアの大学では、基本的に3か月間か半年のインターンをしないと卒業できないんですよ。インターンするのが単位なんです。それで、僕も半年インターンしないといけなかったんです。
当時、環境デザインに興味あって、環境自然デザインを作るには、自然について学ばなければいけないって考えていました。それで、大学の教授に「どこでインターンすればいい?誰かすごい人を教えてほしい!」って相談したんです。
それで、教えてもらったのが、マレーシアとタイの国境付近で有機米農家をしている人でした。その人はマレー系で元々マレーシアの軍隊で働いていた軍人なんです。ピースキーパー(peacekeeper)っていうんですけど、トラブルのある地域に派遣される軍人です。日本だったらアフガニスタンかな。国連のピークキーパーで4カ国ぐらい紛争地に派遣されて、生き残ってきた人なんです。
その人が戦場で見たのは、食べ物で争ってる現地の人なんです。そういうのを見て、食に興味を持ったそうです。マレーシアに帰ってきて、いろいろなフィールドで働いたのち、2009年かな?15年前ぐらいに、ジャングルの近くで米農家を始めたんです。当時40歳ぐらいだったそうです。
マレーシアって有機農家の認定があって、マイオーガニック(マレーシアオーガニック)っていうんです。その方の米はお米部門で有機で登録されているんです。野菜とかは他にもあるんですが、米はその農家だけなんです。マレーシア唯一の有機米農家なんです。
あと、先住民族(マレー語でOrang Asliといいます)のサポートもしています。彼らは、昔の生活をしているけど、半分文明化されていて中途半端なんです。経済的に厳しい方が多くて、社会的にも身分が低い。だけど、昔の暮らしにはもう戻れない。だから、彼らに有機農業を教えたり、彼らの土地をデザインしたりしているんです。
それで、その農家に行って話を聞いたんです。マレーシアの王様もそこで米を買っていました。有機農家としても活躍してるし、農業の研究に携わっていて大学の客員教授にもなっているんです。その傍ら、土地のデザインとかもしていてすごいなと思ったんです。
だから、行った日に「インターンしてもいいですか?」ってお願いしてインターンをさせてもらうことになったんです。そういう経緯でその人の元で自然のデザインを勉強することになったんです。
海外の有機米農家で農業インターン
2ヶ月ぐらいしてその米農家に戻ってきたんです。ちょうどコロナが終わり始めた頃です。マレーシアはロックダウンが厳しかったから、畑も手をつけず半分ぐらいジャングル状態でした。ジャングルの手前に10ヘクタールぐらいの土地があるけど何もなかったです。
さらに、洪水で米が流されてしまっていたんです。何をするか決まってなかったので、初日に「何したらいいですか?」って聞いたら、
Do what you like.「やりたいことやれ、それが俺のやり方だ」って言われて…。
愕然としました…。僕は何かを教えてもらえると思っていたんです。何をしたらいいかわからなくて、来たことを後悔しました。その時の僕は、「学ぶことは誰かに教わること」と思っていました。大学のクラスメイトはもっとちゃんと学んでるだろうから、嫉妬もあるし、何してんだオレ。何をしたらいいんだってなってました。
海外の大学に入って、主体的に学んでいるつもりだったんですが、いま思うと、かなり受動的に学んでいたと思います。受け身なスタンス、日本人ってそうじゃないですか。仕事でも指示を待ってしまう。でも、マレーシアの田舎ではルールも何もなくて、完全に自発的に動くことを求められました。食事の時間だけ決まってて全部自由。勤務時間もなかったです。
村人の従業員も勤務時間がなかったです。彼らは時間の概念が薄いのかなと思います。いま振り返ると、多分ルールを決めても、自分の来たい時に来るから、あえてルールを決めないと思います。日本人の感覚では、生産性をあげるためにはルールを決めたほうがいいと考えるけど、逆にそれで人が離れれば本末転倒。村では勤務時間を決めない状態が生産性が高いのかもしれないです。
夕方になったら、みんな村から出て帰るので、5時ぐらいからは何もない環境で1人です。最初の2週間はネットの電波も弱くて部屋でもすることがなかった。だけど、帰ることもできないし、あと3ヶ月いないといけない状況だったんです。
虫の絵を描いて生態系を学ぶ
それで、何をしたと思います?自分でも驚くんですが、僕は虫を捕まえだしたんです(笑)。虫とかカエルを捕まえて、絵を描きました。植物を見つけて、花の絵を描いて、Wikipediaでその花を調べて、生態系を観察したんです。最初の1ヶ月はそれをしながら、農業の手伝いをしていました。本もたくさん読みました。
レポートに、「今日は虫を描きました。」って書いていました。川の上流には誰も住んでなくて、山の上のダムから水を引いて、村に水を提供してるんです。だから、川に入って、アメンボを葉っぱの上に置いて、ここからあそこまで、何秒かかるかなとか、測っていました(笑)。
1ヶ月ぐらい経つとちょっと仕事を頼まれるようになって、2か月、3か月目には、米も順調になって、受け身な仕事でしたが忙しくなっていきました。ただ、最初の1ヶ月は自発的な学びが多かったです。
オーナーの人は特に何かを教えてくれるわけではなかったし、そんなに話してなかったです。ただ、虫を観察していると、気になることがでてくるから質問してました。すると教えてくれるんです。米になんかついてると、「これはなに?」って聞くと、「害虫だ。」って教えてくれるんです。
主体的な学びの大切さを知る
殺虫剤は撒いてはいけないんです。米の害虫は葉っぱの下に卵を生むんですよ。でも、その卵を食べる益虫は葉っぱの上にいるんです。だから、葉っぱの上から殺虫剤を撒くと、益虫は死ぬけど、害虫の卵は葉っぱの下にいるから生き残る。殺虫剤をかけると生態系のバランスが崩れてダメなんです。
自然のバランスをできるだけ保ってあげれば、食物連鎖の中である程度コントロールできる。もちろん完全にはコントロールできないけど、全てをコントロールする必要はない。そういう考えなんです。
彼はなんでも知ってるから聞けば教えてくれるんです。大体は自分から聞いてました。そのとき、自分で探してみることも大事だなって思いました。そういう意味で、ルールを決めないこともいいと思っているんです。
忙しいと成長している気になる。ルールが決まっていて、それに従うのは楽。タスクをこなせば仕事をやった気にはなる。だけど、主体性は生まれにくい。新聞に絵を描こうと思わないじゃないですか。でも、真っ白な紙にはなにか書きたくなる。文字でも絵でもいいと思うんです。
自分の中に白紙の空間を持つのは大事
ちょっと哲学っぽいんですけど、無というのは大事だと思ってます。無から有は生みだせる。でも、有があれば、そこに有を生み出そうとは思いにくい。だから、自分の中に白紙の空間を持つのは大事だと思っています。
その1ヶ月はなにも指示されず放置されて、まったく仕事をしてなかった。本当にしんどかったけど、あの時の経験があるから物事を深く観察できる。本は読みますけど、やっぱり現場で見て学ぶことが1番大事だと思ってます。あの時の経験から、ルールを設けないのも1つのやり方だと思うようになったんです。
ーー自分で考える力って大事ですね。疑問に持つところまで自分で行くと学びは深くなると思う。
たまに子どもの時を思い出すんです。やっぱり人間って線でできていますね。子どもの時の体験は今に繋がっていると思います。僕は田舎育ちで、小学生のとき、成績はビリでした。勉強したくないし、習い事もしてない。遊んでいただけです。
川で泳いだり、ドジョウを捕まえたりする中で、ドジョウを捕まえるにはどうしたらいいか考えてました。お金がないからペットボトルで罠を作ってました。でも、そういった経験が今は周りに評価されてると感じます。僕は無しかなかった。
ーースティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式スピーチで「点と点が線になる」って言ってましたけど、そのフレーズに似てますね。
ああ、そうですね。だからいろいろ経験したいですね。
ーーフィリピンでも同じことを感じます。何もないと人は作ろうとする。モノが溢れていると、人はいいものを探す。フィリピンでは作ろうとする人が多くて、日本人は買おうとする人が多い。作る体験はクリエイティブな発想を生むと思う。0から1を生み出せる。無から有ですね。
モンテッソーリ教育理論
ーーモンテッソーリ教育もそうですよね。モンテッソーリの学校では子どもの主体性を大事にしていて、おもちゃがいっぱいあるんです。モンテッソーリ教具というんですが、やりたいようにやらせる。なにか作らせる。手を動かす体験は思考力を育てると思います。
モンテッソーリ教育が気になる。タイのインターナショナルスクールでの話
デンマークのホイスコーレ
ーー今年デンマークの4つの学校を訪問したんです。一言で説明するのが難しいんですが、ホイスコーレといって、入学試験はないし、卒業認定もない。全寮制で共同生活して、正解がない緩い授業がある学校なんです。空き時間だらけのゆとりのある生活の中で、自分を知るんです。日本で働いていると忙しい。だけど、たまに空白の時間を持つことは大切だと思います。
デンマーク留学もオススメしているんですか?
ーーフィリピン留学のあとにいいと思うので、1つの選択肢として紹介していきますよ。
中谷さんはフィリピン留学をオススメしているわけじゃないんですか?
ーー僕にとって、フィリピン留学は選択肢の1つでしかないです。みんなにフィリピンを経験してほしいけど、フィリピンから抜けれない人にはなってほしくない。フィリピンを経て次のステップに進んでほしい。マレーシアにも行ってほしいし、米農家のNPOとか最高。苦痛で楽しめない人が多いと思うけど、乗り越えたら、また違う世界が見えそう。
そうですね。本当に最初は辛かったけど、僕にはいい経験でした。
マレーシアの農業インターン
ーーそのインターンは誰でも応募できるの?
できますよ。給料は出ないですけど。
ーーでも滞在はさせてくれるんですよね?
いえ、滞在費を払わないといけないです。ご飯もついてないです。ご飯と滞在費で1日300円ぐらいです。
ーー300円!安い!
ご飯はおいしいです。
ーーシャワーは?
シャワーはあります。でも、川の水です。大雨が降ったら雨で詰まってシャワーが使えないです。その時は、川にシャワーを浴びに行きます。
ーーそんなボランティアが好きな人もいると思う。
そこに嫁いだ日本人女性がいるんですよ。だからボランティアしたかったら行けますよ。結構日本人が来てるんです。ボランティアを探すウェブサイトに募集情報がのってます。
僕が行ったときは、コロナ直後で、時期が悪かったのか、よかったのかわからないけど、することないからアメンボの絵を描いてましたけど、普段は米を収穫したり、ニワトリの世話をしたり、村の結婚式に参加したりします。結婚式は村人をみんな呼ぶから1000人ぐらい来るんです。入れ替わり立ち替わりで、みんなご飯を食べて帰っていきます。
(2024年11月18日)
編集後記
インターンシップはどこで何を学ぶかで得られるものが全然違います。0から1を生み出す力を鍛えたいのか、1を10にする力を鍛えたいのか。得たいもので飛び込むべき環境は違います。海外のいい環境でインターンした学生は強いです。今後もいい事例があれば体験談として掲載していきます。フィリピン留学はゴールではなく通過点にしてほしい。