フィリピンのタルラック州バンバンにある Bamban History Museum and WWII Exhibit(通称:Bamban WWII Museum)は、第二次世界大戦の歴史を地元の視点で伝える小規模だけど深い内容の歴史博物館。

この博物館は地元の歴史とバンバン周辺での太平洋戦争の戦闘や人々の物語を中心に展示しています。戦争を単なる年表や軍事史としてでなく、そこに関わった一人ひとりの記憶として伝えることを大切にしています。
設立は 2005年、地元の歴史愛好家であり研究者でもある Rhonie C. Dela Cruz 氏 が設立しました。僕が行ったとき、彼自身がガイドしてくれました。

彼は子供のときに、親や叔父さんを戦争で亡くしています。殺したのは日本人です。戦争が終わり、2003年ごろ、日本の横浜で働くことになった彼は、浜空神社(横浜海軍航空隊の守護神として造営された神社)で特攻隊の人たちと知り合ったそうです。そこで交流を重ねるうちに、大東亜戦争に詳しくなり、帰国後にこの博物館を設立しました。とても聞き取りやすい英語で解説してくれますが、戦争のこと話すときは、「大東亜戦争」と日本語ではっきり言うのが印象的でした。
Bambanは戦場だったので、トンネルで見つかった遺品が展示されているけど、遺族から寄付された展示品も多い。戦時中の写真、兵器や遺留品、当時の地図や文書など。



遺族がこの場所に来て、それぞれが語るので、展示品ごとのストーリーがある。それをガイドが説明してくれるんです。
ものすごくリアルな戦場の写真もあるし、当時の日記もリアルでした。「戦争は勝っても苦しむ」みたいな日記があったけど、戦争の複雑さとその影響を感じました。

知らなかったけど、この地で戦ったのは、日本、アメリカ、フィリピンだけでなく、台湾人、オーストラリア人もいたそうです。台湾人は日本側として戦い、オーストラリアはアメリカ側として戦った。敷地内には5つの国旗があって、それぞれの立場で歴史が語られます。

フィリピン人の学生も来てました。アメリカ人も来るそうです。日本兵を殺したアメリカ人は、日本兵が持っていた寄せ書きされた国旗をずっと持っていて、それもここに展示されていました。「俺が殺した日本兵が持っていた国旗」だと言って寄付したそうです。

ものすごく生々しい博物館。こんな場所と知らずにやってきたので、説明を聞いているとき、溢れる涙を止められませんでした。
敷地内に小さな記念碑があって、戦没者(フィリピン人、日本人、アメリカ人)を祀ってあったので、線香を炊いてきました。

SMクラークから向かったけど、行き方がわからなかった。GrabでもMove itでも目的を検索しても出てこないんです。マッカーサー・ハイウェイ(MacArthur Highway)を北上するしかないと思い、ジプニーで行こうとしてもMabalacat までばかり。ジプニーを乗り継いで行くかと思ったら、Bambanと書かれたジプニーを発見!それでBamban橋まで行って、10分ぐらい歩いて到着しました。スムーズに行けば30分、でも1時間ぐらいみていたほうがいいですね。場所はパンパンガではなくターラックです。
到着してもゲートは鍵がかかっていたので、外から呼んで待っていました。しばらくしたらゲートが開きました。ここは事前予約マスト。詳しい説明をしてくれました。広くはないけど、1時間ぐらい。その後も、1人で見学したけど、展示品が多いからゆっくり見たらかなり時間がかかるす。最後にドネーションを求めらたので1000ペソ渡しました。
この場所が興味深いのは、米軍・日本軍双方の資料を収集し、太平洋戦争の現場としてのバンバンの重要性を学術的にも観光資源としても伝えようとしていることです。戦争関係の場所はスタンスが現れる。日本はアジア解放のため正しかった。日本は大虐殺をして悪かった。そういう判断はしたくない。コロナでパニックになったように、戦争中に冷静な判断なんてできるとは思えない。平和ボケした今の日本人が戦争中の日本人の行動を評価すること自体ナンセンスと思ってる。ただ、記録を残す。その行動には価値がある。
パンパンガには大東亜戦争の歴史遺構が点在している。Bamban History Museum and WWII Exhibit は単なる戦争史博物館ではなく、フィリピンの地方史と国際史が交錯する場所として印象深い場所でした。
(2025年12月11日訪問)
パラワンの戦争博物館を訪ねて|Palawan Special Battalion WW-II Memorial Museum