フィリピンの首都マニラのゴミ山に行きました。パヤタスというエリアにスモーキーマウンテンがあって、貧困問題を考えるスタディツアーに参加したんです。スラム街と言われているスモーキーマウンテンに行って、ゴミ山に住んでいる人に話を聞くツアーです。
ストリートチルドレンも多くていろいろ考えさせられました。解決策がはわからないけど、こういう複雑な社会問題があることを知れたよかったです。
フィリピンのゴミ山問題を考えるスタディツアー
ケソンシティにあるパヤタス・ダンプサイトは、約30ヘクタール(東京ドーム6.4個分)の巨大なゴミ集積場です。毎日運び込まれるゴミは1200トンだそうです。そして、そのゴミの中から売れるものを拾って、販売して生活している「スカベンジャー」と呼ばれる人々がいます。約2000人がゴミを拾って生活していて、日給は150ペソから300ペソだそうです…。
スカベンジャー(Scavenger)。廃品回収業者、ゴミをあさって(有価物回収で)生計を立てている人。 差別的意味合いを指摘し、ウェスト・ピッカー(Waste Picker)と言い換える動きがある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/スカベンジャー
路上で売っているものが、仕入れてきたものなのか、盗んできたものなのか、ゴミから拾ってきたものかはわからない。
ゴミ焼却炉が作れない理由は3つありました。金がない、環境への配慮、ゴミ山の利権です。
移動するマニラのゴミ山
ゴミ山の歴史も教えてもらいました。もともとマニラのトンドに有名なスモーキーマウンテンがあったそうです。それが1995年に閉鎖されて、パヤタス地区に移転。それがパヤタス・ダンプサイトです。
- 1995年 マニラ港のトンド地区にスモーキー・マウンテンと呼ばれる最終処分場が存在した。フィリピンの貧困の象徴として各国の批判を浴びたため、フィデル・ラモス大統領が閉鎖した。
- 1973年 パヤタス・ダンプサイトが廃棄物処分場として政府から認可
- 2000年 パヤタス・ダンプサイトで崩落事故
2000年に大きな事故があったそうです。そして、このパヤタスのスモーキーマウンテンも2018年1月に閉鎖されました。つい最近です。この山にゴミが山積みされることはなくなりましたが、増え続けるゴミは消えません…。政府はまた、郊外にゴミ山を作っています。
ゴミ山を閉鎖してもどこかにゴミを捨てないといけない。だから、ゴミ山が移動しているだけなんです。
スモーキー・マウンテン(英語: Smokey Mountain)とは、フィリピンマニラ市北方に位置するスラム街のことである。名称の由来は、自然発火したゴミの山から燻る煙が昇るさまから名付けられた。かつては海岸線に面した一漁村であったが、1954年に焼却されないゴミの投棄場になった。それ以来、マニラ市内(マニラ首都圏)で出たゴミが大量に運び込まれ、その中から廃品回収を行ってわずかな日銭を稼ぐ貧民(スカベンジャー)が住み着き、急速にスラム化した。
1980年代後半頃から、フィリピンの貧困の象徴として扱われるようになった。政府は国のイメージが損なわれることを理由に閉鎖を決断し、住民は公共住宅をあてがわれて強制退去させられたが、一部の住民はパヤタス・ダンプサイト(スモーキー・バレー)をはじめとする別の処分場周辺に移住し、従来通りのスカベンジャーとしての生活を続けている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/スモーキー・マウンテン
パヤタスのゴミ山崩落事故の慰霊碑
2000年7月、1週間大雨が続き、ゴミ捨て場が崩壊して、大規模な崩落事故が起きた。1000人の犠牲者が出たそうです。その崩落事故の慰霊碑を訪問しました。観光地という感じではなく、ひっそりとあった。
「TALAAN NG MGA BIKTIMA NG PAGGUHO NG PAYATAS DUNPSITE NOONG HULYO 10 2000」
と書かれていた。タガログ語だったので、翻訳したら
「List of victims of Payatas dumpsite landslide on July 10 2000」
という意味だった。崩落事故での犠牲者リスト
慰霊碑の横にはロウソク立てがあった。山には柵が設けられており、もうゴミはない。
ツアーガイドが当時の様子を説明してくれた。
スモーキーマウンテンは拍子抜けするぐらい普通の街
パヤタスのスモーキーマウンテンは拍子抜けするぐらい普通の街でした。
ゴミ山の名残はもうない。子どもたちは笑顔。学校もあるし、普通の街です。危険な雰囲気はない。豊かさは感じませんが、思っていたほどの貧困は感じません。
セブやマニラで出会うストリートチルドレンのほうが怖いです。スラム街というよりも観光地でした。
しかし、ゴミはなくなっていません。柵の前にはゴミが捨てられており、そこに群がる人はいました。
人が住んでいる以上、ゴミはなくならない。
道でブタが寝てました。
パヤタス崩落事故の犠牲者にインタビュー
その後、崩落事故の経験者に話を聞きに行きました。このスタディツアーのメインイベントです。パヤタスのローカルの家に入っていきます。
彼はパヤタスの崩落事故で右手を失っていました。当時1歳だったそうです。
「家族、お金、教育、仕事、家、最も望ましいものは何ですか?」
彼は少し考えて「教育」と答えました。この答えに感銘を受ける人もいるかもしれない。だけど、彼と信頼関係を築かなければ、本当の答えは聞き出せないと僕は感じました。彼は毎週同じような質問に答えているのだろう。パヤタスにしばらく住んで、本当の友達になったら、同じ質問になんと答えてくれるのだろう。
教育支援を受けているのに、授業をサボってるフィリピン人を僕はたくさん知っています。スタディツアーはいろんな国で参加しました。仲良くなったある子供が言っていた言葉がすごく心に残っています。
「ここでこうやって生きていたら、お金を持った偽善な人がお金をくれるんだよ。彼らは僕らを心配しているんじゃない。いいことをしている自分が好きなだけだよ。」
ゴミ山問題の利権ビジネスに解決策はある?
スモーキーマウンテンという言葉は聞いたことあった。ゴミ山に貧しい人たちが住んでいて、スラム街みたいになっている。そんなイメージだけでした。今回フィリピンのパヤタスに訪問して、複雑に絡み合った社会問題だと感じました。
ゴミ山は社会問題だけど、大きなビジネスでもあります。利権もある。土地所有者、政府、会社、ゴミの中で生きているストリートチルドレン。みんなが求めることは違います。居住者はゴミ山の犠牲者かもしれません。でも、ゴミ山から抜け出したいと思っているとは限りません。住んでいる人が問題と思っていないとしたら解決策はあるんだろうか?
ゴミ山に住んでいたら、スカベンジャーの仕事がある。都会に出て仕事を探さなくても、生活が安定している。さらに、ゴミ山に住んでいたら、NGOやNPOがお金を落としていきます。
このスタディツアーでそんな現実を目の当たりにしました。正直、ゴミ山をなくすことは難しいと感じました。このスタディツアーが意図しているメッセージかどうかは分かりません。でも、この社会問題を知れてよかったです。
マニラの貧困を学ぶスタディツアー
僕はバスとジプニーでマニラからパヤタスに向かいました。地図で見る以上にマニラから遠かったです。ただ、NPOソルト・パヤタスのスタディツアーに参加すれば送迎があると思います。マニラの貧困を学ぶスタディツアーです。
参加したスタディツアーは1日ツアーです。参加費は5000ペソ。「パレットスクール」という学校と「NPO法人ソルト・パヤタス」が共同で行なっています。パヤタスのスモーキーマウンテンを訪問して、ゴミ山で暮らす人にインタビューして貧困問題を考えるツアーです。(食事代、移動費、NGO寄付金が含まれています。)海外ボランティアや貧困問題に興味ある方にオススメです。
途上国でのソーシャルビジネスに興味あるなら、パレットスクールのスタディツアーがオススメ!