5年前にフィリピン留学をしていた大学生が、フィリピンでソーシャルビジネスをしていました。貧困問題を解決するため農村で奮闘しています。ドゥマゲテまで話を聞きに行きました。
峠慶太郎、26歳
起業のキッカケはフィリピンでのインターン
峠(タオ)です。いま26歳です。フィリピンの農村で、ネイティブチキンのファーマーをやってます。大学生の時にフィリピンでインターンをしたのがキッカケです。ネグロス島にあるDETiという学校でインターンをやってました。
あの時、体験談を聞かせてもらったよね。2018年だから、もう5年前だ。
国際協力の海外インターンで大学生が見たNPOやボランティアの現実
ですね。インターンしていたときに、ミサンガのプロジェクトを立ち上げたんです。ミサンガの作り方を農村部に覚えてもらって彼らの収入源にしてもらおうと思ったんです。コーンティーのプロジェクトもそうです。ノリでやっちゃったから、そのときはライフワークにするつもりはなかったです。
そのプロジェクトのワークショップをやったとき、村には48世帯しかいないのに、30人が参加したんです。自分たちの人生が変わると思って、たくさんの人が集まってくれたんです。
農家のために人生の時間を費やしているのは、学生時代にノリと勢いでプロジェクトを立ち上げてしまったからだ。
— 峠慶太郎🇵🇭サトウキビ農家と養鶏 (@KeitarohTao) May 19, 2022
なんとなく立ち上げたプロジェクトの存在が、ミサンガの作り方を教えて彼らが得ていた月600円の収入が、彼らにとってどれだけの希望だったかが分かってしまったら引けなくなった。 pic.twitter.com/21EvLMv9r1
でも、こんな田舎ではミサンガは売れなかったんです。パブリックマーケットでコーンティーを売ったこともあるけど、全然売れなかったです。よくて月10個。だから、DETiの生徒に押し売りしてました(笑)。
期間が終わって日本に戻ったけど、中途半端にやめられないと思う気持ちがありました。学生ながら責任も感じてました。
日本で働くのはユルイ
就職を考えたとき、日本で働いていてもユルイと思ったんです。ゆるゲーですよ。でも、フィリピンで生きてる人はユルくない。
僕がいまアルバイトで雇っている子もそうです。お金がなくて、学校を続けられないんです。だから、家族を支えるために、1年間学校を休んで働いています。生まれた場所で違うんです。
この村にいる人は難民なんですよ。サンタカラリーナというところの出身で。1980年ぐらいに紛争があって、逃げてきてるんです。弟はその時に殺されたとか。そんな話を聞くと、日本なんてユルイなあと思ったんです。
彼らは病気になっても病院に行けないし、学校に行くお金もない。1年ぐらいDETiで活動していた最後に、そんな話をシェアしてくれたお母さんがいたんです。活動して1年ぐらいして、やっと教えてくれたんです。言いたくないんです。昔の嫌な思い出なんて思い出したくもないんです。
話を聞いて悲しかった。それもここに戻ってきた1つのキッカケかもしれない。俺はここにいないといけないって思ったんです。それでフィリピンに戻ってきたんです。
フィリピンのバギオにも行ったし、ベトナムにも行きました。でも、この村の人と約束したんです。戻ってくるって。だから戻ってきました。
やっとサトウキビの農村へ。
— 峠慶太郎🇵🇭サトウキビ農家と養鶏 (@KeitarohTao) February 14, 2022
誰も好んでここでビジネスしないだろう僻地。
僕はここに戻って来ないといけなかった。
生活を変えたくても、出稼ぎするくらいしか選択肢のない彼らのことを知っていたから。 pic.twitter.com/tuM8RTwYsc
フィリピンの農村に惹かれる
この村が大好きなんです。ネグロスが好きなんじゃなくて。この村が好きなんです。村と町は全然違います。人の生き方が違います。村の人はシンプルな生活です。自給自足で一生懸命生きてます。
僕が関わっている村はサトウキビ農家です。サトウキビは育てるのは難しくはないけど、小作が多いから儲けるのは難しいんです。土地がないからそれしか手段がない。だけど、彼らはお金はないけど、幸せに生きていて。お金にも困ってないんです。
だけど、困るときがあるんです。サトウキビが収穫できないと、お金がなくて、魚が買えなくて。そういう困り方ですね。栄養状態がよくない。タンパク質が取れてないんです。病気になってもお金がない。
ーー元々そういう生活が好きなの?
あまり意識してなかったです。ここに来て、その気持ちが掘り起こされたんでしょうね。シンプルに景色がキレイだし、僕自身が、シンプルライフがカッコいいと思ってます。
村と町で全然状況が違います。ザンボアンギータの市内で、学校に行かないでゲームばかりやってるフィリピン人もいます。そういうのは「勝手にバカになっておけ!」って思います。だけど、村には、頑張りたいけど機会がない人がいるんです。
ソーシャルビジネスだから意味がある
困っている人のためのソーシャルビジネスがやりたいんです。ソーシャルビジネスじゃないと嫌です。大義がないと頑張れないです。ソーシャルビジネスは最初は小さいけど、大きくしていける。そういう希望がソーシャルビジネスにはあるんです。小さいビジネスで作った利益を、また違うフィールドに使っていきたい。まだ難しいけど、早くそのフェーズにいきたい。
ーー企業活動も社会貢献という考え方もあるでしょ。企業が金を稼げば、雇用を産むし、会社は法人税を払って、雇用者が所得税を払えば、税金という仕組みで社会貢献してる。ユニクロが障害者雇用しているように営利団体だからできることもあるんじゃない?
僕は納税を社会貢献とは思えない。それじゃ頑張れない。その話は、中谷さんから5年前にも聞いたんです。いまでも覚えている。進路を選ぶときに考えたし、ソーシャルビジネスの道を選んだのもその話が少し影響していたかもしれないです。
社会は理不尽じゃないですか。でも、僕は社会の理不尽には憤りを感じないんです。フィリピンと日本は違うとか。社会としてこうあるべきとか、そういうことにはあまり関心がない。
言葉が難しいんですが、憐れみなんです。自分が知ってる人が、悲しい方向に進んでほしくない。それをなんとかしたいだけなんです。おせっかいをやきたい。いまはそれがすごく大事なんです。
日本人に海外にでてほしいとか。そういう気持ちもないし、正直なところ、人のことはどうでもいい。問い合わせがくるんですよ。嬉しいけど、うっとうしいこともあります。こっちは忙しいから。来てもらってもその人は何もできないだろうし。時間が取られてしまう。でも、勝手にくる人もいるんです(笑)。
僕は人を育てるより、自分でやりたい。ただ、twitterとかで思ったこと呟いていると、自分の発信が、間接的に誰かに影響を与えていると感じることがあります。「タオさんのこれを見て連絡しました」とか言われるんです。それは素直に嬉しいです。「インターンしたい」とか連絡もくるんです。僕の中での優先順位は低いけど、提供しようと思ってます。
農村に惹かれるんです。自分が燃えるフィールドが農村なんです。食べ物を作る人が一番エライと思ってます。だから、ここでソーシャルビジネスをやりたい。それが僕には意味があるんです。
ボーダレス・ジャパンという会社に所属しているんですよね?
はい。ボーダレス・ジャパンで、ソーシャルビジネスに取り組んでます。フィリピンの農村も問題を解決するため日々奮闘してます。
ソーシャルビジネスを通じて社会問題の解決に取り組むボーダレス・ジャパン
(2023年4月訪問)
編集後記
留学生のその後は面白い。いい事例は紹介していきます。ボクは、30歳ぐらいのとき社会起業家という言葉が気になって、本を読み漁ったことがあります。プロボノも1年間やりました。タオくんの今後が楽しみです。会ったのは4月なので、状況も考え方も変わっていってると思います。頑張って欲しい。彼のTwitterはこちらです。